酢語録BLOG 2.0

それでもやっぱり言いたい放題

“馬車馬のように働く”を問い直す

「馬車馬のように働く」

この表現を久しぶりに耳にしたとき、私は少し懐かしさを覚えると同時に、胸の奥にざらついた感情が残った。自民党総裁選で高市早苗氏が初の女性総裁に選ばれたというニュースは、時代の転換点を象徴する出来事であった。

 

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その就任会見で彼女は、「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる」と語った。力強い決意表明であることは間違いない。だが、その言葉の持つ響きは、令和の社会においてどこか懐かしく、そして少し危うい。

 

かつて「馬車馬のように働く」は、称賛の言葉だった。昭和から平成初期にかけての日本社会では、長時間労働は忠誠心と責任感の証とされた。「会社のために」「組織のために」身を削って働くことが、美徳として語られていた。高度経済成長を支えたのは、まさにその馬車馬のように黙々と働く人々であっただろう。しかしその裏で、多くの人が疲弊し、家庭を顧みることもなく、心身をすり減らしていった。過労死という言葉が社会問題として取り上げられるようになったのも、その延長線上にある。

 

だからこそ「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が生まれた。働くことと生きることの調和を取り戻そうという考え方だ。仕事に全てを注ぎ込むのではなく、人生を構成する多様な価値──家族、趣味、学び、休息──を大切にするという視点が広がった。これは単なる「甘え」ではなく、持続可能な社会のために必要な変化だった。もはや「馬車馬」は時代遅れ、そう感じる人も多いだろう。

 

しかし、高市氏の発言を単純に「古い働き方」として切り捨ててしまうのも違うように思う。混迷する政治の中で組織を立て直すには、一定の覚悟と集中力が求められる。「全員で力を結集しなければ変わらない」という切迫感から出た言葉なのだろう。政治の現場に限らず、企業や教育の現場でも、惰性や慣習が変化を妨げていることがある。そうした状況を打破するには、「もう一度全力でやろう」というリーダーの号令も必要だ。

 

問題は、その「全力」がどこまでを意味するか、である。馬車馬のように走り続けても、行き先を間違えていれば努力は徒労に終わる。方向を見定め、自分の意思で走ることこそ大切だ。現代における「働く」とは、命令に従って動くことではなく、目的を理解し、自らの判断で最適な力を注ぐことに他ならない。

 

私たち一人ひとりが考えるべきは、「誰のために」「何のために」働くのか、という問いである。かつてのように「馬車馬のように働く」ことを誇る時代は終わった。これからは、自らの手で手綱を握り、自分のリズムで走る働き方が求められている。努力を惜しまないことと、心身を壊してまで働くことは、同じ「頑張り」でも意味が違う。

 

高市氏の言葉は、時代錯誤でありながらも、日本人の働き方に根づいた「勤勉の美徳」を思い起こさせた。私たちはその精神を完全に否定するのではなく、現代にふさわしい形に昇華させる必要がある。もはや馬車馬ではなく、行き先を見据えて舵を取る者として。自らの意思で、持続可能に、誇りを持って働く。そのような時代に、ようやく私たちは立っているのではないだろうか。