つい数秒前まで頭の中にあった言葉が、まるで煙のように消えてしまうことがある。何かを取りに立ち上がったのに、途中で他のことに気を取られ、目的をすっかり忘れてしまう。誰かに話しかけようとしたのに、名前がどうしても出てこない。ふとした日常のなかで、こうした「忘れる瞬間」に出くわすことが増えてきた。
年齢のせいだろうか。そう思う一方で、若いころから同じようなことはあったようにも思う。ただ、その頻度と質が、少しずつ変わってきている。昔は「うっかりしてた」で済んだものが、今では「これって大丈夫かな」と心のどこかで不安になる。記憶の引き出しが、かたく閉じてしまったような感覚。手がかりをつかもうとしても、指先をすり抜けていく。
だが不思議なもので、記憶というのはまったくの空白になるわけではない。ふとしたきっかけで、思い出すこともある。たとえば、台所でお湯を沸かしていたことをすっかり忘れたまま本を読んでいて、ポットの音に「そうだ、お茶を淹れようとしてたんだ」と我に返る。誰かの言葉や、音、におい、景色――そういった刺激が、鍵のように記憶を呼び戻すことがある。記憶は思ったよりも奥深くに潜んでいて、表面には出てこないだけなのかもしれない。
便利な道具も増えた。スマホのメモ機能、アラーム、リマインダー。日々の忘却に抗うかのように、私は何でも書き残すようになった。まるで自分の外側にある「第二の脳」を使っているような感覚だ。だが、それがあるからこそ、つい油断してしまう。書いたことに安心し、そのまま見返さない。記録と記憶のあいだには、微妙な距離があるようだ。
忘れることは、悪いことばかりではない。悲しい記憶や、後悔、怒りの感情も、時とともに薄れていく。そのおかげで、私たちは前を向いて生きていける。完璧に覚えている人間などいないし、忘れるという営みも、また人間らしさの一つなのだと思う。
それでもやっぱり、さっきまで覚えていたのに、というあの一瞬の悔しさと情けなさには、なかなか慣れない。忘れないようにと、心に留めたつもりだったのに。きっとこれからも、私は何かを忘れ、そして思い出すだろう。その繰り返しのなかで、今日もまた暮れていく。
