酢語録BLOG 2.0

それでもやっぱり言いたい放題

根拠のない自信という武器

根拠のない自信。理屈の通らない自信。世の中には、それをあたかも悪いもののように捉える風潮がある。「自信を持つには根拠が必要」「準備が整ってから動くべき」といった考え方は、とてもまっとうで、安全でもある。だが、私はむしろ、根拠のない自信こそが人を突き動かし、人生を切り拓く大きな原動力になるのではないかと感じている。

 

思えば、私自身の人生にも、無謀と紙一重のような選択がいくつもあった。やったこともないことに手を挙げてみたり、自分の力では到底無理なのではと内心ビクビクしながらも「できます」と言ってしまったり。振り返れば、無鉄砲という言葉が似合うようなことも多い。だが、不思議なもので、そういうときほどなぜか物事が動き出す。自分でも「何とかなる気がする」と思ってしまっていたからかもしれない。

 

この“なんとなく自分ならできる気がする”という感覚は、冷静な判断では説明できない。知識があるわけでも、経験があるわけでもない。ただ、「やれる気がする」だけである。でも、その感覚があるだけで、人は行動できる。準備が整っていないと感じれば一歩も踏み出せなくなる。だが、理屈抜きの自信があれば、不思議と体が動く。

 

そして、動き出してしまえば、世界は変わる。最初は不安定だった足取りも、経験という重みが徐々に加わってくる。周囲の反応も変わる。応援してくれる人が現れ、いつのまにか自分自身も「本当にできるかもしれない」と信じられるようになる。気づけば、かつては“空っぽ”だった自信が、少しずつ中身の詰まった“確かな自信”へと姿を変えている。

 

もちろん、何もかもがうまくいくわけではない。過信が原因で失敗することもあるし、他人に迷惑をかけてしまうこともある。それでも、何も挑戦せずに終わるよりはずっといいと私は思う。痛みを知り、反省し、成長する機会を得たという意味で、失敗もまた一つの価値ある体験である。

 

根拠のない自信は、未来の自分からのメッセージであるかもしれない。今の自分には見えていない可能性を、心のどこかが察知している。それが「できる気がする」という曖昧な形で表に現れる。そして、その小さな火種が、人を前に進ませる。

 

だから私は、誰かが「自信はないけど、やってみようかな」と言っているのを聞くと、全力で背中を押したくなる。むしろ、「根拠はないけど、やってみたい」という気持ちこそが、もっとも信じるに値する動機であるとさえ思っている。

 

現代は何かと「確からしさ」や「信頼性」が求められる時代である。データや実績がものを言う世界のなかで、「なんとなく自信がある」という言葉は頼りなく聞こえるかもしれない。だが、すべてが確実に整ってからでなければ動けないのだとしたら、人はいつまでも前に進めない。

 

根拠のない自信。そこには、まだ見ぬ自分への信頼が宿っている。その信頼を、軽んじてはいけない。むしろ大切にしたい。なぜなら、あのときの無謀な一歩が、今日の自分をつくってくれたのだから。