近ごろ、米の価格がじわじわと、しかし確実に上がっている。しかも、下がる気配はまるでない。日々の買い物で手に取る米袋の値札に、思わずため息をつくことが増えた。米は日本人の食卓の中心であり、パンや麺に押されながらもなお、日々の暮らしの要である。それだけに、この米の価格高騰は家計にじわじわと響き、確かな生活への影響をもたらしている。

この「令和の米騒動」とも呼ぶべき事態は、単純な需給バランスだけでは説明がつかない、なんとも謎めいた様相を呈している。たしかに、異常気象による作柄の悪化、農家の減少、肥料や燃料といった生産資材の高騰、さらにはコロナ禍後の外食需要の回復といった複合的な要因が指摘されている。しかし、それだけでは、この異様な値上がりの全貌を説明しきれない感覚が拭えないのだ。
思い出されるのは、平成5年(1993年)の「平成の米騒動」である。あの年は記録的な冷夏により、米の作柄が大打撃を受けた。東北地方では稲が実らず、全国の作況指数は戦後最低を記録した。米不足は深刻であり、スーパーの棚から米が消え、果てはカメラ店で米が売られるという異常な光景すら見られた。政府はタイ米などを緊急輸入したが、食味の違いから消費者の不評を買い、使われないまま廃棄される事例も後を絶たなかった。
あの平成の米騒動は、誰が見ても「冷夏」という明確な原因があった。しかし、令和の米騒動は、これほどまでに明確な一因が存在しない。不作だけが原因でもなければ、急激な需要増だけでもない。複雑な要素が絡み合い、なおかつ需給の歪みや流通の不透明さが、不可解な高騰を生み出しているように感じられる。
もしかすると、今私たちが直面しているのは、単なる一時的な価格上昇ではないのかもしれない。日本の農業構造の変化、グローバルな物流網の脆弱化、そして世界的な気候変動といった、時代の深層にある大きな波に、私たちの米びつも静かに、しかし確実に揺さぶられているのかもしれない。
この騒動が一過性のものとなるのか、それとも新たな時代の入り口を示しているのか、今はまだ分からない。ただひとつ確かなのは、米という存在が、私たちの生活にどれほど根深く結びついているかを、改めて思い知らされているということである。
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