酢語録BLOG 2.0

それでもやっぱり言いたい放題

非合理の美学としてのコーラ

人間の嗜好というものは、実に不思議である。健康を意識し、日頃から水やお茶を選ぶ生活を送っていても、ある瞬間、理屈を飛び越えて強烈に求めてしまうものがある。それが、私にとっては「コーラ」である。

 

炭酸の刺激、深く甘い香り、そしてあの独特な風味。それらが一体となって、ひと口目から脳に何かを訴えかけてくる。まるで、かつての記憶を呼び覚ますかのように。それは、子どもの頃に友達と過ごした夏の夕暮れであったり、部活帰りに立ち寄ったコンビニでのひとときであったりする。コーラには、そうした「過去の断片」が染みついているのかもしれない。

 

現代において、飲料の選択肢は実に多様である。健康志向を反映した無糖の炭酸水、機能性をうたうスポーツドリンク、さらには栄養バランスを整えるプロテイン飲料に至るまで、「飲む」という行為にさえ目的が求められるようになった。そんな中で、糖分と炭酸とカフェインが一体となったコーラという存在は、やや時代遅れのようにも映る。だが、それでも人はコーラを選ぶ。あえて選ぶ。その理由は、単純に「おいしいから」だけではない気がする。

 

私が最もコーラを必要としていたのは、病院の医事課で働いていたときのことだった。特に月初のレセプト業務の時期は、まさに脳のフル稼働が求められる時期である。請求ミスが許されない緊張感、複雑な算定ルール、突如発見されるデータの不整合…。そのすべてを、限られた時間の中で処理しなければならない。

 

そんなとき、自販機の前で手が伸びるのは、決まってコーラだった。冷たく、刺激の強い炭酸が喉を駆け抜けるたびに、脳の回転数が少しだけ上がるような気がした。実際には糖分とカフェインの効果で一時的にテンションが上がっているだけかもしれないが、それでもその“上がった感”こそが、あの過酷なレセプト処理には必要だった。

 

思うに、コーラのような存在を、人生に一つは持っておいたほうがいい。
理屈では説明しきれず、効率や健康に照らしても正当化できないけれど、それでも「好きだ」と言い切れるもの。そうしたものが、忙しさや正しさに囲まれた日常のなかで、呼吸の余白になる。

 

人生は選択の連続だ。正しい選択を重ねていくことは大切だが、ときに「正しさ」とは別の軸で、自分を満たすことを選ぶ勇気もまた必要だ。完璧であろうとするあまり、心が乾いていくのなら、ほんの少しだけ自分に甘くなることは、むしろ人間らしいことなのだと思う。

 

たまに飲むコーラは、そんな自分への小さな許しであり、忘れかけた感覚を取り戻すための装置である。言い換えれば、「非合理の美学」だろうか。

 

だから私は、これからも折にふれてコーラを飲むだろう。理由などいらない。ただ、飲みたくなるから。

 

――とはいえ、毎日飲んでいたら、それはもう“たまに”ではなくなる。
ほどほどにしよう。コーラに失礼だから。