酢語録BLOG 2.0

それでもやっぱり言いたい放題

礼節は損得を越えて

ときどきSNSなんかで話題となる話で、「レストランで『ごちそうさま』と言うのはおかしいのではないか」というものがある。理由としてよく挙げられるのは、「お金を払ってサービスを受けているのだから、感謝の言葉をかける必要はない」という考え方だ。確かに、対価を支払った以上、それで取引は成立していると言えば、その通りである。店側も客から料金を受け取ってサービスを提供しているのであり、特別な恩義を感じる必要はない、という理屈だ。

 

しかし、私はやはり「ごちそうさま」と言いたいと思うし、それを自然なふるまいだと感じる。なぜなら、礼節というものは損得や義務の延長線上にあるものではないからだ。人が手間ひまをかけて作った料理をいただくということ。それは単に物を消費しているのではなく、誰かの手仕事や気遣いに触れているということでもある。金銭を支払ったからすべて完結するわけではなく、その背景にある人の営みへの感謝を、自然と表したくなる。それが「ごちそうさま」という一言に込められている。

 

レストランの厨房では、料理人たちが火を使い、食材を扱い、皿を整え、ベストなタイミングで料理を出そうと心を尽くしている。ホールスタッフもまた、食事をする客が気持ちよく過ごせるように目を配っている。こうした努力を当然のものと受け取るか、ありがたいものと受け取るかで、客としてのふるまいも変わるだろう。私は、どちらを選びたいかと言えば、間違いなく後者である。

 

また、「ごちそうさま」という言葉は、単なる儀礼ではない。食事を楽しみ、満たされた気持ちを、ささやかに外に表現する行為でもある。食べ終えたときの静かな満足感、その場を後にする前に、小さく区切りをつけるような感覚。それを自然な流れで言葉にすることは、自分自身のためでもあり、周囲の人のためでもあるのだと思う。

 

こうした感謝の言葉や態度が、社会全体の雰囲気をやわらかくし、人と人との間に見えないあたたかさを生む。だからこそ、礼節を重んじるということは、個人の美徳にとどまらず、社会を少しだけいい方向へと動かす力になるのではないかと思う。小さな「ごちそうさま」、ささやかな「ありがとう」、そんなやり取りを軽んじないこと。それはきっと、これからの時代にも大切にしていきたい感覚である。

 

食事の場面に限らず、日々の生活の中で、誰かの働きや心配りにふれたとき、自然に感謝の言葉が出る自分でありたい。礼節とは、形式に従うことだけを意味するのではない。相手に敬意を払い、自分のふるまいに心を込めること。そんなふうに考えながら、私は今日も「ごちそうさま」と言って店を後にする。