大阪・南港にある大型商業施設「ATCシーサイドテラス」に設置されたストリートピアノが、思わぬ形で話題になっている。発端は、運営者によるX(旧Twitter)での投稿だった。「練習は家でしてください」という貼り紙の写真とともに、「こんな掲示はしたくなかった…」というメッセージが投稿されたのである。これがきっかけとなって、ネット上では賛否両論、さまざまな意見が飛び交う騒動に発展した。
そもそもストリートピアノとは、駅や空港、商業施設などの公共の場に設置されたピアノで、誰でも自由に演奏できることを目的としている。日常の中にふと現れる音楽の時間、そんな偶然の出会いを楽しむための文化的な試みだ。実際に、音楽が好きだけど人前で演奏する機会がなかった人や、プロを目指す若者、ただ弾いてみたいだけの子どもまで、さまざまな人が鍵盤に触れてきた。そうした背景があるからこそ、「練習は家で」とする貼り紙は、多くの人の心に引っかかってしまったのだと思う。
一方で、運営側の気持ちも無視はできない。南港のストリートピアノはフードコートの中に設置されており、常に人が食事をしている空間である。長時間の演奏や、つっかえた音が響くと、確かに快適な空間が損なわれてしまうこともあるだろう。実際にクレームが入っていたとのことで、運営側としても難しい判断だったに違いない。ストリートピアノの理念と、施設の運営や環境とのバランスは、確かに簡単ではない。
それでも私は思う。今回の件で一番残念だったのは、「未熟さを排除する空気」が広がってしまったことだ。音楽に限らず、どんなことも最初は不器用なものである。人前で弾くのが初めて、緊張して手が震える、うまく指が動かない――そんな経験が、次につながっていく。失敗しながらでも「やってみたい」という気持ちを持って鍵盤に向かう人を、もう少し優しい目で見守れたらいいのにと思う。
誰かの「下手な演奏」が耳に入った時、それをただ「うるさい」と切り捨てるのではなく、「がんばってるな」と思える余裕。そこに、社会のあたたかさがあるのではないだろうか。自分だって、過去に誰かに許してもらったことがあるはずだ。失敗を笑わず、未熟を受け入れてくれる大人たちに囲まれて、成長してきたはずなのに、いつの間にか「完璧じゃないならやるな」という空気に自分も染まってしまってはいないか。そんな自問自答を、私自身もこのニュースを通じてしている。
結局のところ、「公共の場だからマナーは必要」というのは正論である。その一方で、「公共の場だからこそ、多様な人がいるのが自然」とも言える。どちらも正しい。だからこそ難しい。でも、難しいからといって、より弱い立場、つまり「これから挑戦しようとしている人」を遠ざけてしまう社会にはしたくない。上手な人だけが認められる世界ではなく、不器用でも、努力している姿が受け入れられる社会の方が、ずっとあたたかいし、希望がある。
音楽に限らず、街にはさまざまな「つっかえた音」があふれている。まだうまく話せない子どもの声、慣れない自転車に乗る音、初めてマイクを握るスピーチ、そんな音たちが街にあることは、むしろ健全なことだ。完璧でなくても、誰かが何かに挑戦している音。それを聞いて、「がんばれ」と思える自分でいたい。
寛容な社会とは、完璧な演奏だけが響く静かな世界ではなく、時に外れた音も混ざり合って、それでも心地よいハーモニーを奏でる世界であると、私は信じている。
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