「もっと生きたい」と願いながらも叶わなかった人々の思いを胸に、自分は何ができるのか。生かされた自分が果たすべきことは何なのか。それを探しながら生きることが、自分の人生の意義であると信じている。
ふと、かつて書いた記事を思い出した。 2008年11月24日、まだ東日本大震災の前だった頃に書いた文章だが、今読み返しても自分の考えの根本は変わっていない。加筆修正して、ここに再掲する。
「人生そのものがギャンブルである」
これが、自分の座右の銘のようなものだ。
人生は、決して思い通りにはならない。 もしもすべてが計画通り、思ったとおりに進むなら、人は苦しむことも悩むこともないだろう。
別の言葉で言えば、 「人生は期待外れの連続である」
だとすれば、努力すること自体が無意味なのだろうか。 何かを成し遂げようとすることに、果たして価値はあるのか。 何もしないまま、ただ流されて生きるしかないのか。 いや、そもそも生きる必要があるのか。
そんな問いを突き詰めていけば、それは哲学的な命題に行き着く。
しかし、その問いに明確な答えは存在しない。 野生の動物は、「なぜ生きるのか?」など考えない。 それでも彼らは、今日も食べ物を探し、命をつなぐ。
なぜか?
生きるためだ。
たとえ、どん底に落ちても。 たとえ、生きる気力を失っても。
それでも、人は生き続ける。 存在しない答えを探しながら。


