酢語録BLOG 2.0

それでもやっぱり言いたい放題

データの違いを見抜く力――一元配置分散分析という考え方

数字を見て「Aの方が高い」「Bの方が良さそう」と感じることはよくある。だが、その違いが本当に意味のあるものなのか、ただの偶然なのか――それを判断するのが統計の役割である。その中でも、データサイエンスの基本にして王道の方法が「一元配置分散分析(One-Way ANOVA)」だ。

 

名前は少し堅苦しいが、やっていることは意外にシンプルだ。たとえば、三つのクラスで同じテストを受けたとする。平均点に違いがあるように見えても、それが「先生の教え方の違い」によるのか、「たまたま生徒の出来が良かっただけ」なのかは分からない。そこで一元配置分散分析では、データのばらつきを使ってその違いを見極める。もしクラス間の違いが、クラス内の個人差よりもずっと大きければ、「平均点に有意な差がある」と判断できるのだ。

 

要するに、これは「グループ間の違いが偶然ではなさそうか」を確かめる方法である。数学的にはF値という指標を使い、コンピュータがあっという間に計算してくれる。研究者でなくても、今ではExcelでも簡単にできる分析である。

 

この考え方は、日常のいろいろな場面に応用できる。たとえば、三種類の広告を出して、どれが一番クリックされやすいかを比べたいとき。あるいは、複数の病院で平均入院日数に差があるかを知りたいとき。いずれも、「三つ以上のグループの平均を比べる」ときに使える。二つのグループだけならt検定、三つ以上なら一元配置分散分析、と覚えておくとよい。

 

データサイエンスの視点で見ると、この分析は「ばらつきをどう説明するか」を考える練習でもある。数値の違いは、いつも何かの要因によって生じている。その要因を見つけることが、問題解決や意思決定の出発点になる。たとえば売上データを見て、店舗ごとに差があるなら、それは立地のせいか、スタッフの対応か、あるいは曜日の違いかもしれない。分散分析の考え方を身につけると、データの裏にある構造を読み解く目が育ってくる。

 

データサイエンスは難しい数式の世界ではなく、「違いの理由を探す科学」と言っていい。数字の背後には、必ず人の行動や状況がある。だからこそ、一元配置分散分析は、研究者だけでなく、仕事や生活の中でデータを扱うすべての人にとって役立つ道具なのである。

 

 

AIが「急に賢くなった」三つの理由

ここ数年、ChatGPTをはじめとするAIが驚くほど賢くなった。まるで突然、人間と同じように考え、話し、文章を書く力を手に入れたかのようである。しかし実際には、「ある日突然」というわけではない。AIがここまで進化したのには、明確な理由がある。鍵を握るのは、三つの技術――Transformer、スケーリング則、そしてRLHFである。

 

まず最初の要となったのが「Transformer(トランスフォーマー)」である。これは、AIが文章を読むときに、文中の言葉どうしの関係を一度に理解できるようにした仕組みである。たとえば「彼はリンゴをナイフで切った」という文を考えてみる。これまでは「彼→リンゴ→ナイフ→切った」と順番に処理していたため、全体の意味をつかむのに時間がかかっていた。Transformerは、これらの言葉を同時に見渡し、「ナイフで」「切った」「リンゴを」という関係性を一瞬で把握できる。これにより、AIは文脈を理解し、長文でも矛盾なく答えられるようになったのである。

 

次に重要なのが「スケーリング則」である。これは「AIは大きくすればするほど賢くなる」という経験則である。単純だが強力だ。使うデータを増やし、学習するパラメータ(AIの“脳のシナプス”のようなもの)を増やし、計算力を上げると、精度がどんどん上がる。ある意味では“量が質を生む”世界である。この法則が発見されたことで、世界中の研究者が「では思い切って巨大なAIをつくろう」と動き出した。その結果生まれたのが、GPT-3のような超巨大モデルである。ここでAIは初めて、「少しのヒントを与えるだけで自分で考える」能力を見せ始めた。

 

そして最後の仕上げが「RLHF(アールエルエイチエフ)」、つまり人間のフィードバックによる学習である。AIが出す答えの中には、正しいけれど冷たいものや、的外れなものも多かった。そこで登場したのが“人間が先生になる”仕組みである。AIが出した答えを人間が評価し、「これが良い答えだよ」と教える。AIはその評価を報酬として学び、人間が喜ぶような返し方を覚えていく。これによって、無機質なAIが、少し人間らしい対話をするようになった。

 

この三つの技術が組み合わさったことで、AIは“突然”賢くなったように見える。しかしそれは、長年の努力がつながった結果である。機械が文脈を理解し、大量のデータから学び、人間の感覚に合わせて応答する――その全てが揃ったとき、ChatGPTのようなAIが誕生したのである。

 

いま、AIは文字だけでなく、画像や音声、さらには動画も扱えるようになりつつある。まるで人間の五感を少しずつ手に入れているかのようだ。AIがどこまで“考える存在”になっていくのか、それを見守るのは、私たち人間自身である。AIの進化は、私たちの知恵の延長線上にある鏡なのかもしれない。

 

 

データサイエンスと統計学の交差点

データサイエンスと統計学の関係について考えると、両者は似ているようでいて、その立ち位置は微妙に異なる。統計学は長い歴史を持ち、データを通じて母集団の性質を推測したり、仮説を検証することを目的として発展してきた学問である。平均や分散といった基礎から、回帰分析や多変量解析といった応用まで、数学的な理論に裏づけられた確かな道筋をもって「データから真実を見抜く」ことを目指す。一方、データサイエンスはより広い概念であり、統計学を基盤にしながらも、情報科学機械学習、プログラミング、可視化、さらにはデータ基盤の構築といった領域を含み込んでいる。単なる分析にとどまらず、社会やビジネスの課題解決に実装する実践的な姿勢を持っているのが特徴である。

 

統計学とデータサイエンスの関係を説明するとき、「基盤」と「応用」という表現が適切かもしれない。統計学がデータを扱う際の理論的な正確性や信頼性を担保する役割を果たすのに対し、データサイエンスはその理論を現実の複雑な問題に適用する。例えば、医療の現場で用いられる診断支援AIを考えてみると、膨大な画像データを処理し特徴を抽出するアルゴリズムはデータサイエンスの領域であり、そのアルゴリズムの妥当性や精度を統計的に評価する部分は統計学の領域である。この二つが揃って初めて、社会に役立つ技術となる。

 

また、統計学は本来「小さなデータ」を扱う技術として発展してきた。サンプルから母集団を推定し、限られた情報から確からしさを引き出すことを得意としている。それに対し、データサイエンスは「ビッグデータ」を前提とし、膨大な計算資源を活用してパターンを抽出する力を持っている。だからといって、データが大きくなれば統計学が不要になるわけではない。むしろ、データが膨大になればなるほど、偶然に見える相関や偏りを見抜く統計的な視点はますます重要になる。データの扱いを誤れば、膨大な情報がかえって誤解や誤判断を生むことになるからである。

 

このように考えると、データサイエンスを学ぶ上で統計学を避けることはできない。数理的な基礎をしっかりと理解したうえで、プログラミングや機械学習といった実践的なスキルを積み重ねることで、ようやく「データから価値を生み出す力」が身についていく。理論と実践の両輪を持つことが、これからの時代に求められるデータ活用の姿勢なのである。

 

 

 

パーセントとパーミル、その使い分け

日常生活の中でよく目にする「%(パーセント)」と、やや馴染みの薄い「‰(パーミル)」。どちらも割合を表す単位であるが、基準となる分母が異なる。パーセントは「百分率」、つまり全体を100としたときの割合である。一方でパーミルは「千分率」、全体を1000としたときの割合を意味する。1%=10‰という関係であり、数字の桁を変換することで簡単に行き来できる。

 

この違いが実務上に現れる例のひとつが、2022年度診療報酬改定における「紹介率・逆紹介率」の見直しである。従来は「紹介率=(紹介患者数+救急患者数)÷初診患者数」、「逆紹介率=逆紹介患者数÷初診患者数」とされていた。いずれも分母が初診患者数であったため、分母が比較的少ない小規模医療機関では数値が大きく振れる傾向があった。

 

これに対し、改定後は「紹介割合(%)=(紹介患者数+救急患者数)÷初診患者数×100」、「逆紹介割合(‰)=逆紹介患者数÷(初診患者数+再診患者数)×1000」とされた。ここで注目すべきは、紹介割合にはパーセントが、逆紹介割合にはパーミルが採用されている点である。なぜ単位が分けられたのか。それは値の大きさに由来する。紹介割合は一定以上の規模の病院であれば数十%に達するのに対し、逆紹介の割合は母数が大きくなる分、数値としては数‰といった小さな値で示される。このため、%で表すと「0.3%」「0.8%」と小数点が並び、直感的に把握しにくくなる。そこで‰を用いることで「3‰」「8‰」と表記でき、桁数の感覚が揃うのである。

 

医療データサイエンスの観点から見ると、この変更は単なる表記の違いではなく、データの解釈に直結する。割合の定義や単位が変わることで、過去の実績値との比較を行う際に注意が必要になる。特に逆紹介に関しては、分母が初診から「初診+再診」へと広がっているため、同じ施設であっても数値の傾向が大きく変わり得る。制度設計上、患者の流れをより正確に把握しようとする意図があるのだろうが、モニタリングに携わる現場では、単位の違いを理解していなければ誤解や誤算を招きかねない。

 

パーセントとパーミルは、数学的には単なる倍率の違いにすぎない。しかし、医療の現場で指標として活用する際には「どの分母で測るのか」「どの単位で表すのか」という点が重要である。単位の選択は、数値の可読性や政策の意図を反映するものであり、単に換算すればよい話ではない。私たちがデータを扱うとき、その背後にあるロジックや制度的背景を読み解くことこそが、医療データサイエンスの実践にほかならない。

 

 

データサイエンスと情報セキュリティの共進化

データサイエンスと情報セキュリティマネジメントという二つの領域は、いずれも現代社会において重要な役割を果たしているが、その接点を意識することは意外と少ないのではないだろうか。データサイエンスは膨大なデータから価値を見いだし、意思決定を支援する学問である。一方、情報セキュリティマネジメントは、データそのものを守り、正しく利用されるための仕組みを整える営みである。前者がデータの可能性を広げる学問であるのに対し、後者はその可能性を現実の社会で安心して発揮させるための土台ともいえる。

 

ビッグデータやAIの進展によって、データの収集と活用は飛躍的に拡大した。医療、教育、ビジネス、行政など、あらゆる分野でデータサイエンスの成果は応用されている。しかし、データの活用が進めば進むほど、プライバシー侵害や情報漏洩といったリスクも増大する。つまり、データを使う力と同じくらい、それを守る力が求められる時代になったのである。もし情報セキュリティの視点を欠いたまま分析に突き進めば、成果どころか社会的な信用を一瞬で失いかねない。

 

データサイエンスと情報セキュリティマネジメントは、しばしば異なる領域として扱われる。しかし両者は、実際には車の両輪のような関係にある。データを安全に管理することができてこそ、安心して分析や研究に取り組める。また、分析から得られる知見がリスク管理の質を高めることもある。例えば、ログデータの解析によって不正アクセスのパターンを見抜くことは、セキュリティマネジメントの一環であり、まさにデータサイエンスの力である。

 

このように考えると、データを「守る」ことと「活かす」ことは対立するものではなく、補完関係にあることがわかる。データサイエンスは未来を切り拓くための光であり、情報セキュリティマネジメントはその光を安全に照らすための影の支えである。光と影が一体となってはじめて、社会に信頼される形で新しい価値を生み出すことができる。

 

大学や企業における教育や実務においても、この二つを切り離さずに学ぶ姿勢が大切だ。データを扱う者はセキュリティの基本を理解し、セキュリティを担う者はデータ活用の意義を知る。その相互理解が深まるほど、持続可能で信頼できるデータ社会の実現に近づいていくのである。

 

 

 

データサイエンス時代を生き抜くために必要な視点とスキル

現代のビジネス環境において、データサイエンスはもはや一部の専門分野に限られたものではない。マーケティング、製造、医療、金融、物流など、あらゆる業界でデータ活用が競争力を左右している。こうした潮流の中、データサイエンティストという職種は急速に需要を高め、その仕事内容や必要スキルが注目を集めている。

 

prtimes.jp

 

データサイエンティストの仕事内容は単にデータを分析するだけではない。最初の段階では、ビジネス課題を正しく定義し、その課題を解決するためにどのようなデータが必要かを特定する。次に、データの収集・前処理を行い、統計学機械学習などの手法を用いて分析を実施する。そして、得られた結果をわかりやすく可視化し、意思決定に活かせる形で提案するまでが一連の流れである。つまり、データ分析はあくまでプロセスの一部であり、その前後にある課題設定と価値創出が非常に重要である。

 

必要とされるスキルも幅広い。統計学数学的モデリングの知識、PythonやRなどのプログラミングスキル、SQLを用いたデータベース操作能力は基本中の基本である。さらに、データを理解しやすく提示するための可視化スキル、プレゼンテーション力、そして業界固有のドメイン知識が求められる。また、最新のAI技術や機械学習アルゴリズムを理解し、適切な場面で適用できる能力も欠かせない。

 

データサイエンスの現場では、技術力だけでなくコミュニケーション能力が成果を左右する。なぜその分析が必要なのか、結果はどのようにビジネスの価値に直結するのかを、非専門家にもわかりやすく説明できる力が必要である。この点を軽視すると、どれほど高度な分析を行っても意思決定に結びつかず、成果として評価されにくい。

 

さらに重要なのは、変化し続ける技術トレンドへの対応である。クラウド環境でのデータ活用、生成AIの業務応用、リアルタイムデータ分析など、新しい技術や手法は日々生まれている。データサイエンティストとして長期的に活躍するためには、学び続ける姿勢と適応力が不可欠である。

 

これからデータサイエンスの分野に挑戦する人は、まず「何のためにデータを使うのか」という視点を持つことが重要だ。そのうえで、基礎スキルを磨きつつ、業界特有の課題や文化を理解していくことで、自身の市場価値を高められる。データは単なる数値の集合ではなく、適切に扱えば未来を切り拓く力となる。まさに今が、データサイエンスの世界に足を踏み入れる好機である。

 

 

AIの見せかけの知性:ハルシネーションとポチョムキン理解を見抜く視点

大規模言語モデル(LLM)の進化が目覚ましい昨今であるが、その限界についても冷静に見極めねばならない。特に「ハルシネーション」と「ポチョムキン理解」という2つの問題は、AIの理解の本質に迫る上で避けて通れない。

 

xenospectrum.com

 

まず、ハルシネーションとは、AIが実際には存在しない事実を、もっともらしく語ってしまう現象である。たとえば、実在しない論文をでっち上げたり、架空の人物を事実のように説明したりする姿に見覚えのある方も多いだろう。これは、モデルが文章の流れとして最も尤もらしい形を選ぶ結果、現実との整合性が崩れることに起因する。つまり、正確さよりも「らしさ」を優先してしまうのである。

 

一方で、ポチョムキン理解はさらに厄介だ。これは、一見すると深い理解を示しているかのように見せかけるが、実際には表面的な理解にとどまっている状態を指す。ロシアの「ポチョムキン村」になぞらえ、外から見れば立派に整っているが、内実は空虚であるという比喩だ。AIが概念の定義はきれいに説明できるのに、それを使った応用課題では失敗するという報告が相次いでいる。つまり、人間のように論理の道筋を柔軟にたどる力がないことが露呈しているのである。

 

ここで改めて確認したいのは、ハルシネーションが「事実の誤り」を生む問題であるのに対し、ポチョムキン理解は「意味の理解そのものが浅い」という質の異なる弱点だという点だ。AIに問いかければ正しそうな答えが返ってくるが、深く検証すると論理の飛躍や理解の不整合が浮かび上がる。表面的には優秀でも、応用力を伴わないのは大きな問題である。

 

AIを活用する場面は今後ますます広がるであろう。しかし、その裏に潜むハルシネーションとポチョムキン理解という弱点を見過ごせば、思わぬトラブルを招く。AIの「らしさ」と「理解の深さ」を区別し、より多面的な評価を行う視点が今こそ求められている。